「母が亡くなって1年になりますけれど、母は自分の生い立ちやプライベートなことはあまり話したがらないタイプでした。母に限らず、うち(の家族)はみんなそうなんです。ですから、母の半生を描いたNHKの連続テレビ小説『あぐり』(1997年4~10月放映)に出てくるような話は、母の口から聞いたことは一度もなくて。“テレビ小説”ですから脚色したところもありましたけれど、テレビを見て、初めて母の生い立ちや人生を知ることができました」
そう本誌に語るのは、女優・吉行和子さん(80)。昨年1月亡くなった彼女の母親は吉行あぐりさん(享年107)。田中美里主演でNHK朝ドラのモデルにもなった、日本の女性美容師の草分け的存在だ。15歳という若さで作家・詩人の吉行エイスケ氏と結婚した、あぐりさん。16歳で長男・淳之介氏(芥川賞作家・享年70)を出産後、彼女が美容師を志した理由とは―。
「兄が生まれてすぐに父は上京して、母も、後を追うように上京しました。幼い兄を義母に預けて。でも、上京はしたものの、父は作家仲間と飲み歩いたりしてほとんど家に帰ってこない。そのとき母は『人間は一人一人違うんだから、旦那さんだと思って頼ってはいけない』『旦那さんは好きなことをしているんだから、私もやりたいことをやろう』と思ったそうです。当時、母は17歳くらいでしたけれど。これは、母から直接聞いた数少ない話ですけど、話を聞いて『すごい人だ』と思いました」
母・あぐりさんの「人間は一人一人違う」という考え方は、子供たちにも対しても徹底していた、と長女だった吉行さんは言う。
「私は28歳で結婚しましたけれど、普通の親は、相手の家のことや学歴、収入――少なくとも、この3点ぐらいは聞くと思うんです。でも、母は何ひとつ聞かなかった。そして、4年後に『離婚します』と言ったときも『何があったの?』ぐらい聞いてもよさそうなのに、『承りました』と(笑)。私としては『とても母親とは思えない』と思う反面、そういう母親で助かったところも多々ありました」
90歳まで現役美容師として活躍し続けた、あぐりさん。母子が密に触れ合うようになったのは、美容師としての仕事がひと段落した以降だという。
「母と本当に話をしたり、一緒に食事をするようになったのは、母が91歳になったとき。母と旅行にも行くようになりました。最初に行ったのはメキシコでしたけれど、出かける前は91歳の母と旅行するのは、さぞや大変だろうな、と思いました。ところが、旅行先での母は、その日着たものは自分で洗濯をしてお風呂場に干して、次の日に着るものはきちんとたたんで枕もとに置いておく。それだけでなく、自分のことはすべてやってくれて。それを見て、改めて『すごい人だ』と思うと同時に、母はとても楽しそうでしたので。それからは、周りには『趣味は親孝行よ』と言って(笑)、母と国内外いろいろなところへ行きました」
107歳まで生きた、あぐりさん。母との最後の日々について、吉行さんが振り返る。
「亡くなるまでの10年、母はほとんど寝たきりの状態でした。そのあいだ、泊りがけの仕事で地方に行く以外は、毎日母の部屋に行ってスキンシップしましたし、きちんと会話ができる状態ではなかったですけれど、頭はすごくしっかりしていて。母は『あなたがいてくれてよかったわ。生きていられるわ』と言ってくれました。その母がいなくなって、私は『本当に独りになった』という感じがします」
3月12日公開の映画『家族はつらいよ』では、夫に離婚を切り出す妻役を熱演している吉行和子さん。この映画を通じて彼女が訴えたいことは「家族の素敵さ、大切さ」だという――。【女性自身】
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